私の上司は降谷零シリーズ

マーガレットをあなたに①

降谷零✕固定夢主♀黒田乙芭(くろだおとは)


夢主視点

file1-1 降谷零という男


「警察庁警備局警備企画課、降谷零だ。改めて宜しく頼む」

 公安警察として勤務初日の私は思わぬ出来事に何一つ言葉が出てこなかった。色々突っ込みたいことは山程あるけど、まさか私の上司が彼になるなんて。

 警察学校を卒業した私はこの春に都内の米花町へと引っ越してきた。就職先は警視庁公安部。明日が勤務初日である。比較的成績優秀だった私の力が公安部にどの程度通じるのか、これからの新生活に心踊る自分がいた。

 実家の使用人に頼んでいた引っ越し作業が一段落したところで、近所にカフェがあったことを思い出した私は部屋着の白いネグリジェから普段着に着替えて早速カフェへと向かった。

「いらっしゃいませ~」

店内に入ると珈琲のいい香りが漂っていた。ここの珈琲はきっと美味しいと私の直感が働く。平日ということもあってか、お客さんが少なく席にすぐ通して貰えた。

「ホットコーヒーお願いします。あと少しお腹が空いてしまって何かオススメありますか?」

「そしたらハムサンドがオススメですよ、ここの看板メニューなんです!」

「へー、じゃあそれをお願いします」

 看板メニューというからには一体どれほど美味しいハムサンドなのか期待を膨らませる。先だしの珈琲を飲み、静かに読書をしながら待っていた。やはりここの珈琲は美味しい。休日はここに通おうと決めた。

「お待たせしました、ハムサンドになります」

見た目は普通のサンドイッチのようだ。特に変わった様子はない。お姉さんはにこにこ笑いながらこちらを見ている。見られながら食べるのは少し恥ずかしいのだが、どうやら彼女は奥に引っ込む様子はない。仕方なく私はハムサンドを一口サイズに千切り口に運んだ。

「この風味って、オリーブオイルですか?」

「そうです!」

「あと味噌も使ってるような」

「すごい!よく分かりましたね!」

「味には敏感なんです。美味しい……!」

「気に入って貰えて嬉しいです!」

隠し味に味噌を使うサンドイッチなんて初めて食べた私は素直に感動していた。まさかご近所でこんなにも美味しい料理に巡り会えるなんてこれはもう本当に通うしかない。正直、喫茶店の料理なんてどこも同じだと思っていた私の常識を覆すほどの美味しさであった。もぐもぐしながら思わず口角が上がる。

「そういえばお客様、ポアロにいらっしゃるのは初めてですよね?」

「はい、つい最近ここの近所に引っ越して来たんです。黒田乙芭と申します」

「そうだったんですね!私、榎本梓っていいます!よかったらまた来てくださいね!」

「はいそのつもりです。ここの珈琲もハムサンドもすごい美味しかったので休みの日にまた来ますね」

 笑顔がとてもキュートな梓さんは嬉しそうに話を続ける。どうやらバイトの方がメニューを考案したそうだ。他にもオススメのパスタを教えて貰ったので次のときはそれを頼もうと決めた。ちなみに私の好物は和風パスタである。

 食事が終わったので席を立ってレジカウンターへ向かうと、そこには金髪で褐色肌のお兄さんが立っていた。しかもなかなかの好青年。調味料で汚れたエプロンをしているところを見るとキッチン担当は彼なのであろうか。

「ごちそうさまでした。珈琲もハムサンドもとても美味しかったです」

「ありがとうございます。梓さんから聞きましたよ、とても美味しそうに食べてくれていたって。それにしても黒田さんは珍しい食べ方をされるんですね」

「ん?何のことですか?」

「ハムサンドの食べ方ですよ。サンドイッチってそのままバクっと食べるのが普通だと思うんですけど、黒田さんはひと口サイズに千切って食べていたのでとても上品な方だなぁってついついみとれてしまいました」

「あぁそれはつい癖で。ではまた」

彼はなかなか目敏いようである。自分の身分がバレてしまうことを恐れた私は足早に店から出ていった。今日はなんとか誤魔化せたが、今後もしかしたら彼のように私の所作を指摘してくる人がいるかもしれない。なるべく身元がバレるのは避けたいところだが、幼いころに身につけた作法を今になって変えるのは難しいものだ。

 自宅に帰ると夕食の買い物をしていないことに気づいた。使用人がいない今、一般人として一人で生活することの大変さを思い知る。仕方なく今日は寿司にしようとデリバリーを頼むことにした。

 夜は明けた。ついに初出勤だ。それも警視庁。緊張しないわけがない。私はコンコンコンと扉をノックし開けると、眼鏡をかけた厳格そうな男性が目に入った。

「失礼します、今日からここに配属された黒田乙芭と申します。宜しくお願い致します」

「風見裕也だ。早速だが君には今から言う場所に向かってもらう。そこには我々の上司の降谷さんがいるから指示を仰ぐように。あと絶対怒らせるなよ。あの人は女性だからと言っても容赦ないからな」

「承知しました」

風見さんと私の上司にあたる降谷零さんは警察庁警備局、通称ゼロに勤めているという。まだ会ったことはないが、話によると相当な切れ者で、ある組織に潜入調査をしているとのこと。風見さんが少し怯えてるような表情をしていたが、女性にも容赦ない上司とは一体どんな人なのだろうか。不安を覚えながらも愛車に乗り、指示された場所へと向かう。

 警察の誘導によりパニックにはなっていないものの、杯戸ショッピングモールでは避難している一般客でごった返しているため騒々しい状況には変わりない。

 風見さんの話によると、このショッピングモールのどこかに爆発物が仕掛けられているとのことで、降谷さんを始め、公安警察が調査にあたっているという。勤務初日にそんな大事件に関わることになろうとは。私は一先ず、ショッピングモール内にいる降谷さんを探すことにした。

 ここでは過去に爆発物を仕掛けられたことがあったが、当時の爆弾犯は既に捕まっている。つまり模倣犯の可能性が高い。確かあのときの爆発物は大観覧車だったはずだ。自分の推理をもとに観覧車へと向かう。

 着いたところで降谷さんはどこか尋ねると、どうやらここにはもういないようだった。他の場所にも爆発物が仕掛けられているらしく降谷さんはひとりそこへ向かったという。私は急いで彼の後を追った。

 場所はモール内のエレベーターの中。既に緊急停止していたため、エレベーターの天井に昇るとそこにはひとりの男性の姿があった。

「降谷零さんですね?私、今日から警視庁公安部に配属された……」

私は言葉を失った。私の声に反応して振り向いた彼は間違いなく昨日ポアロで働いていたキッチンのお兄さん。同一人物なのか、それとも一卵性の兄弟なのかなどと考えを巡らせていると、目の前の彼は眉間にシワを寄せ表情を曇らせた。

「そんなところでぼんやり突っ立っていないで手伝ってくれないか?」

「は、はいっ」

 昨日の様子とはまるで違う低い落ち着いた声色。雰囲気もピリピリしている。見た目は瓜二つであるがやはり人違いなのか。いや今はそんなことを考えている場合ではない。目の前の爆弾処理をすぐ終わらせなければ。

 成績優秀で卒業したものの、流石に爆弾処理班でもない私が介入できる問題ではないような気がするので大人しくしていたほうが懸命か。

「君ならどっちを切る?犯人は青だと言っているのだがどうにも信用ならなくてね」

「赤……?」

「根拠は?」

「ただの好き嫌いなので根拠はないです」

降谷さんは迷わず赤を切った。まさか勤務初日の新人の言葉を鵜呑みにするなんて、開いた口が塞がらなかった。死を覚悟する暇などなくただ呆然と突っ立っているだけだったが、奇跡的に爆発は起こらずに済んだ。降谷零、なんて恐ろしい人なんだろう。

「奇遇だな。僕も赤が嫌いなんだ」

「まさか今の会話で赤を切るとは思いませんでした」

降谷さんは喉を鳴らしながら小さく笑った。

「それそうと、黒田乙芭さんだね?」

「はい!」

「警察庁警備局警備企画課、降谷零だ。改めて宜しく頼む」

「こちらこそ宜しくお願い致します。その、ひとつお聞きしたいことが」

「なんだ?」

「降谷さんってご兄弟いらっしゃいます?」

降谷さんは無言だった。何かまずいことでも聞いてしまったのだろうか。いきなり上司の地雷を踏んでしまった。

「あ、いや、昨日とある喫茶店で降谷さんと瓜二つの店員さんとお会いしまして。もしかしたら双子なのかなぁと」

「公安部の君に隠す必要はないから正直に話そう。あれは僕だ。訳あってあの喫茶店で"安室透"という名で働いている。これは絶対に口外しないように」

「承知しました」

「あのカフェの上にある毛利探偵事務所で助手として働きながらポアロでバイトをしている。僕が公安の人間だと知っているのはそこに住んでいる江戸川コナンくんだけだ」

「一般人に口外したんですか?」

「いや、見抜かれたんだよ。小学生にな」

「降谷さんがそんなミスを……?」

「あの子の推理力を侮るなよ」

切れ者の降谷さんにそこまで言わせる江戸川コナンくんとは一体何者なのだろうか。毛利探偵事務所に住んでいるということはそのうちバッタリ会う可能性もある。次の休みの楽しみがまたひとつ増えたのであった。


file1-2 安室透という男


「乙芭さん、いらっしゃい」

「こんにちは、安室さん」

安室さんからは名前で呼ばれるようになった。昨日までの公安での態度とは打って変わって、満面の笑みで私を客として迎える降谷さん、否、安室透さん。

 風見さんの話によると彼は4徹目だそうだ。そんな状態でバイトに行くとは到底思えないので、高を括ってポアロへ顔を出したところまさかの遭遇。どう接すればいいのかまだ分からないので少し気まずい。

「今日はどうします?」

「あれ、梓さんは……?」

「今ちょうど買い出しに行ってしまって、いるのはマスターと僕だけなんですよ」

「そうですか」

 私はホットコーヒーと日替わりパスタを注文した。安室さんはにこにこ笑いながらキッチンへと戻っていく。あの笑顔がなんだか少し怖い。

 それにしても彼の人気は相当のものであるように思えた。今日は祝日。店内には学生、特に女子高校生が多い。先程から「あむぴかっこいい」「彼氏にしたい」などとこそこそ話し声が聞こえる。確かに容姿は抜群にいいと思う。

「本日のパスタ、あさりと春野菜の和風ペペロンチーノです」

「お、美味しそう……!」

「隠し味に何を使っているか当ててみてください」

安室さんは私が食べるところをじぃーっと見つめる。もちろん笑顔なのだが、彼に見つめられるのはやはり怖い。あの笑顔の裏で何を考えているのかなどと勘ぐってしまう。

 私のそんな気持ちにお構い無く安室さんは今か今かと私が食べるのを傍で楽しそうに待っている。いただきますと手を合わせてパスタを口に運んだ。香りからして美味しいのがよくわかる。

「醤油、じゃない。めんつゆですか?」

「ご名答。流石ですね!」

「唐辛子のピリ辛具合とあさりの旨味が最高です!美味しい幸せ……」

目の前に自分の上司がいるということをすっかり忘れ、締まりのない顔をしながらもぐもぐパスタを食べる。大盛でも全然余裕で食べられると確信した。

「僕の料理をそんなに美味しそうに食べてくれるのは乙芭さんくらいですよ」

「いやいや、みんな美味しいって言ってますよ?」

「でも皆さん料理より僕のほうが気になるみたいで」

「さりげなくモテ自慢してきますね?」

「でも乙芭さんにこのパスタ気に入ってもらえてよかったです」

「和風パスタ好きなんですよ。めんつゆとか醤油とか出汁とか」

「知ってますよ。梓さんから聞いたので」

つまりこれは私のために考案してくれたメニューなのかと思わず尋ねそうになったが、自惚れるなと返ってきそうだったので適当に流すことにした。私はパスタをあっという間に完食してしまった。胃袋を掴まれるというのはこういうことなのかと実感する。

「黒田管理官の娘さんはお行儀がいいですね」

「やはりうちの父をご存知で」

「当然ですよ」

警察の人間が知らないわけがない。私の父親は警視庁捜査一課の管理官である。私が公安に入れたのは当然自分の実力のおかげだと思ってはいるが、父の七光の影響も少なからずあるだろうと見ている。それが原因なのか周りからは少し浮いた存在となっていて同僚とはあまり親しくない。だから今日もひとりで寂しくランチをしているというわけだ。

「あれ、もうお帰りになるんですか?」

「はい。そろそろお暇しようかなと」

「ちょっと待っててください」

立とうとしたが、待てと言われたので再び席に着いた。慣れていないせいか、前日までの疲労感が抜けきっていないため正直早く家に帰りたい。寝たい。

「お待たせしました」

「チーズケーキ?」

「試作品なんですけど、よかったら感想を聞かせてください」

安室さんは他のお客さんには聞こえないくらいの小声で耳もとに囁いた。女子高校生からの視線が痛い。梓さんの気持ちがよく分かった。私も炎上するのではないかと少し不安になる。安室さんは自分がイケメンであることを自覚しているわりには、行動があまりにも軽率すぎる気がした。指摘しようかと考えたが、無邪気な笑顔でこちらを見つめてくるものだから何も言えない。

「どうですか?」

「美味しいです!これも安室さんが?」

「はい、そうですよ」

「これはパティシエになれるレベルですよ。チーズが濃厚ですけど全然くどくないのでぺろっと食べられちゃいます」

「クリームチーズとサワークリームの二層構造にしてみました。やはり乙芭さんに食べてもらって正解でしたね」

「そうですか?」

「はい、下心ない正直な感想を言ってくれるのでいつも助かってますよ。そしたらこれは定番メニューにしようかな」

彼に対する下心なんて一切ないので安心してほしい。だから女子高校生たち、どうかそんな怖い顔してこちらを見ないでください。もし喧嘩を吹っ掛けられたら大変だ。腕っぷしには自信はあるが、一般人を傷つけるわけにはいかない。

「安室さん、このお姉さん知り合いなの?」

 安室さんの横にはいつの間にか小さな男の子が立っていた。眼鏡をかけて赤い蝶ネクタイをつけている。男の子の後ろには付き添いと見られる高校生くらいの女の子がいた。

「コナンくん、蘭さんいらっしゃい。彼女は最近このあたりに就職したみたいでちょこちょこ来てくれるようになったんだよ」

「へー、そうなんだ。僕、江戸川コナン。お姉さんのお名前も教えてほしいな~」

「黒田乙芭です。宜しくねコナンくん」

彼が噂の天才小学生の江戸川コナンくん。にこにこ笑う表情からは至って普通の小学生にしか見えない。

「ここの上に住んでいる毛利小五郎の娘の蘭です。宜しくお願いします、乙芭さん」

「あの有名な眠りの小五郎の娘さん?毛利さんには一度お会いしてみたかったんですよ!」

「いやうちの父は安室さんに比べたら大したことありませんから!それに乙芭さん綺麗だから会ったらすぐに口説きにかかりそうでご迷惑かけちゃいます」

「でも毛利さんってすごく有名じゃないですか。警察からも一目置かれているとか」

警視庁にいるとよく耳に入ってくる毛利小五郎の名前。会ってみたかったのは事実だ。

「ねぇ、乙芭さんってもしかしてお金持ちのお嬢様だったりするの?」

「えっ……」

「だって乙芭さんのその腕時計ってビンテージものだよね。まだ若いのにそのブランド持ってる女の人っていないと思うんだ。見た感じ新品そうだからたぶんご両親から就職祝いにプレゼントされたとかじゃない?」

「そ、その通りだよ。すごいねコナンくん」

「やっぱりー!あと読んでる本からすると、もしかして警察関係それも公安の人なのかな?休みの日にも小説読んで勉強するなんて努力家なんだね~」

冷や汗が止まらなかった。この少年には全てお見通しということか。彼のずば抜けた洞察力には恐れ入った。私の身分を突き止めただけでなく、降谷さんと私の関係についてもこの短時間で知られたというわけだ。江戸川コナン、なんと末恐ろしい子。降谷さんが気にかけるのも頷ける。彼に嘘が通じないと悟った私は正直に答えることにした。

「うんそうだよ。私、この春から警視庁公安部に配属されたの。警察学校で勉強していたとはいえ、まだまだ経験が浅いから少しでも情報が欲しくてね」

「そういう真面目な乙芭さんは素敵だと思いますよ。実に僕好みの女性だ」

「あ、ありがとうございます安室さん」

それは安室透の好みの話なのだろうか。上司からのアピールほど反応に困るものはないし、何より女子高校生たちをこれ以上刺激するのはやめて頂きたいものだ。コナンくんも苦笑いをしている。

 チーズケーキも食べ終わったところで本当に帰ろうと席を立った。入社してまもないというのに睡眠時間が足りなすぎる。レジカウンターに向かうと安室さんが待ち構えていた。

「コナンくんのこと、君ならどう見る?」

「少なくとも只の子どもには見えませんでしたね。あの子の目、いくつもの死線を潜り抜けたような目をしていましたし。ところでどこまで調べがついたんですか?」

「それが彼に関する情報が全くといって出てこないんだ。まるでこの世に存在していないかのようにね」

「ははは、そんな馬鹿な」

私は思わず笑い飛ばしてしまったが、安室さんの目は本気そのものであった。間違いなく江戸川コナンはこの国に住んでいるのに、公安上層部の人間でも分からないことなんて本当にあるのだろうか。不思議な少年だ。

「あと君は少し不用心なところがあるようだから以後気をつけるように」

「返す言葉もないです。気をつけます」

私は安室さんにまた明日と声をかけて店を出ようとしたところ、勢いよく店に入ってきた男性と肩がぶつかりよろけてしまった。一体なんなんだと彼を見ると手にはなんとも物騒なものを握りしめている。

「あんたが安室透だな?」

「そうですが、何か僕に用事でも?」

「あんたのせいで4年付き合っていた彼女にフラれたんだよ!ゆくゆくは結婚しようと思っていたのに!俺の女に色目使いやがったくそやろーが!」

「申し訳ありませんが、全く身に覚えがないですね。それよりその物騒なものを早く仕舞ってもらえますか?営業妨害ですので」

「ふん、じゃあこれ見ても同じようなことが言えるのかよ!?」

ナイフを安室さんに突きつけている彼はポケットからスマートフォンを取り出して、ある写真を見せつける。そこにはベッドで眠っている上半身裸の安室さんが映っていたので私は目を丸くして驚いた。

「あぁ、確かにそれは僕です。彼女は恋人がいないと言っていたんですがどうやら嘘だったようですね」

安室さんが淡々と話す姿に火がついたのか、彼女を寝取られた男性はナイフを刺そうと襲いかかる。彼の手を煩わせるまでもないと判断した私は警察学校で習った逮捕術を思い出し、彼の手を簡単に捻ると絶叫を上げてナイフを地面に落としその場に崩れ落ちた。

「公安警察です、貴方を殺人未遂罪で逮捕します」

「あんた警察だったのかよ……!」

「罪を重くしたくなければ大人しくしていることね。皆さんお食事中お騒がせしました」

「乙芭さん、ありがとうございます」

「安室さんに怪我がなくてよかったです。では私はこの男を署に送り届けるのでこれで」

 優雅なランチを終えてこれから自宅でゆっくり過ごそうと思っていたのに、この男のせいで今日の一日が台無しである。愛車の助手席に男を座らせ、運転席に座った私はハンドルを握り休日に行きたくもない署へと向かった。

 面倒なことに巻き込まれてしまったため、すっかり夜になってしまった。休日出勤なんてしたくなかったのにとため息をつきながら家路につく。自宅の駐車場に車を止めてアパートの階段を登ると、自宅の前には予想外の客人、降谷さんが待っていた。

「降谷さんどうしてここに?」

「僕のせいでせっかくの君の休日を台無しにしてしまったので何かお詫びをしようと思って。すまなかった」

「頭を上げてください!これが私たちの仕事じゃないですか。でもまぁ半裸の降谷さんにはびっくりしましたけど」

「あれは組織の仕事で……」

「あぁ、なるほど」

さすがにあの写真を見られたのが恥ずかしかったのか分かりやすく目を逸らされた。そんな顔もするのかと少し意外だった。

 視線を落とすと降谷さんは野菜などが入ったスーパーの袋を持っていた。厚意で料理を振る舞ってくれるということなのだろうが、上司に使用人のようなことをさせることに後ろめたさを感じる。だがこの時間まで待っていてくれた人を無下に追い返すわけにもいかなかったので、私は降谷さんを家に上げることにした。

「狭くて申し訳ないです」

「いやお構い無く。想像ではもっと広い部屋に住んでいるのかと思っていたんだが、ここは自分で用意したのか?」

「はい、部屋は自分で決めました。一人暮らしですから1Rで充分です」

「君は随分と慎ましいお嬢さんなんだな。キッチン借りるぞ」

降谷さんはいつものエプロンをして、手際よく調理を始める。何か手伝おうかと声をかけたが、ゆっくりしていてくれとキッチンから追い出された。

 彼が料理をする姿はリビングからよく見える。つまり私が寛ぐ姿も彼には丸見えなわけで、気軽にごろごろすることができない。私はソファーに腰を掛けテレビをつけるが、面白そうな番組は特にやっていなかったので結局いつものようにニュース番組をぼーっと見ていた。


降谷視点


 まさか僕が寝ている間に写真を撮っているとは予想外だった。隙を見て彼女の携帯のデータを確認すべきだったと思ったところで後の祭りである。しかも自分の半裸の写真を部下にまで見られる始末。あの場から今すぐに消えたかった。

 己の失態によって引き起こした事態だ。当然凶器を持ったあの男の始末は自分がつけようと思っていたのだが、黒田が真っ先に飛び出して逮捕、連行していってしまった。罪悪感しかない。彼女は僕の部下とはいえ、あの黒田管理官の大切な一人娘である。決して無礼は許されない。

 ポアロの仕事を早めに切り上げ、お詫びに何か料理を振る舞ってやろうと思い、スーパーで買い出しをして彼女の自宅へと向かった。僕の料理を気に入ってくれているようなのできっと彼女も喜んでくれるはず。

 彼女の自宅に着いたものの、まだ帰宅していないようであった。何か問題でもあったのだろうか。黒田のことだ、もし何かあったとしたらすぐに携帯に電話を掛けてくるだろう。箱入り娘なのかと思っていたが、一般常識はもちろん、射撃の命中精度、咄嗟の判断力による的確な逮捕術の行使など新人にしてはなかなか上出来である。

 ここに着いてからしばらく経つと、見慣れた姿が疲れた様子で階段を上がってくるのが見えた。目が合うと何でここにいるのかと不思議そうな顔をしていた。今日の出来事を素直に謝罪してお詫びがしたいと伝えたところ、彼女はすんなりと家に通した。この時間に訪ねた僕が言うのもどうかと思うが、夜中に男を自宅に招くとは警戒心が薄いと言わざるを得ない。それだけ信用してくれているということにしておく。

 部屋のなかはなんともシンプルであった。リビングにあるのはテレビとテーブルとソファーと本棚だけだ。自分の部屋とあまり変わらないので居心地がよいといえばよい。

 ポアロのエプロンをつけてキッチンに立つと、彼女は何か手伝うと申し出てくれたのだがそれではお詫びの意味がなくなってしまうので、キッチンに入らないよう追い出す。和風が好きと言っていたので、今晩は和食を作ろうと春の食材をいくつかこちらで用意した。

 筍と菜の花の煮物。これには彼女の好きそうな京風白だしを入れている。主食には鯛めしを。あとは蛤のお吸い物に春キャベツを盛り込んだ照り焼きハンバーグ。

 風見の話によると黒田は職務中、飯を食べるのをよく忘れるらしい。指摘しなければ夜まで飲まず食わずということも多々あるという。僕が来たからには今晩はきっちりバランスのいい食事を摂ってもらう。案の定、冷蔵庫には全くと言っていいほど食材は入っていなかった。

「できたぞ……って」

いつの間にか黒田はソファーに横になり眠っていた。余程疲れていたのだろう。僕が公安に入ったばかりのころを思い出す。ベッドに行く前にソファーで力尽きたことが何度あったことか。

 彼女の寝顔をこっそり盗み見た。蘭さんが昼に言っていたが、確かに黒田は整った顔立ちをしていると思う。彼女が気づいているかどうか定かではないが、公安部の男共からはかなり人気があると聞いた。ただ彼女は管理官の娘ということもあり、怖じ気づいて誰も手を出そうとはしない。そういえば風見も自分なんかが畏れ多いなんてことを言っていた。

 それにしても男の前でこんな無防備な姿を晒すなんて、警察官以前に女としてどうなんだ。もしや僕は男として認識されていないのだろうか。そう思うと少し悲しくなってきた。

「黒田、飯が冷めてしまうぞ」

身体を揺すっているが起きる気配がない。僕のせいで休日出勤させてしまったことは悪いと思っている。だが仮にも上司である僕が飯を作ってやったというのに眠りこけているとは何事だ。そっと彼女の首筋を指でなぞった。

「うーー」

「起きたな」

「……降谷さん今なにかしましたか?」

「いいや何も。飯ができたぞ」

「あ、いい匂い。ハンバーグの匂いがしますね」

黒田は美味しそう、食べるのがもったいないと食べる前から大層喜んでくれた。どうやら煮物の白だしが気に入ったようで満面の笑みを浮かべながら食べている。彼女が食事をしているときの幸せそうな表情を見るのが実は結構好きだ。特に自分の料理を心の底から美味しいと言って食べてくれるのが堪らなく嬉しい。

「あの、そんなに見られると恥ずかしいのですが」

「僕のことは気にしないでいい」

「と言われましても気になるものは気になります」

「僕の作った料理を美味しそうに食べる君の姿を見るのが僕の唯一の楽しみなんでね。もう少しこのままでいさせてくれないか?」

黒田の頭をぽんぽんと撫でると、彼女は眉間にシワを寄せて何か言いたげにこちらを見ている。僕は変なことを言っただろうか。

「なんだ?」

「降谷さんそういうところですよ」

「は?」

「女の人に甘い言葉を囁いたり、ボディータッチなんて軽々しくしちゃダメです」

「ははっ、僕のことを意識しすぎじゃないのか?」

「いや意識してるのは私じゃなくて安室さんのファンの子達ですよ。いつも安室さんは話す相手との距離がすごく近くて、ファンの子達にいつ刺されるのかひやひやしてるんですから。そろそろ自覚してくださいね?」

つまり彼女は僕のことなど全く眼中にないということか。自惚れていた自分が少し恥ずかしい。確かにこれまでのことをよく思い返してみると、黒田には距離を置かれているように感じることが多々あった。ポアロで食事をしているときだけは満面の笑みを見せてくれるのに、それ以外はたいてい仏頂面である。笑えばかわいいのに勿体無いとよく思う。

「ごちそうさまでした、とっても美味しかったです。ありがとうございました」

「君もあんまり食事を疎かにするんじゃないぞ?公安の仕事が激務なのはここ数日でよく分かっただろう。しっかり食べて体力をつけるんだな」

「自炊ができればお弁当でも作るんですけど、今までろくに料理なんてしてこなかったので本当に苦手で。お弁当作ってくれる彼氏がいればいいんですけどね」

「僕にすればいいじゃないか」

「え?何がです?」

「君の恋人に僕を選べばいいと言っているんだ」

「……どうせ他の子にも同じようなことを言ってるんじゃないですか?」

「まさか」

「梓さん言ってましたよ。このまえ安室さんにいいお嫁さんになれますよって口説かれたらネットで大炎上したって」

あれは口説くつもりで言ったわけではないのだが、どうやら梓さんにまたしても迷惑をかけてしまったようだ。

 それにしても安室透までもが距離を置かれているというのに、梓さんとはいつの間にそんなに打ち解けたのか。自分にはいつになったら心を開いてくれるのだろう。距離を置いているわりには僕の前で無防備に寝ていたりするので何を考えているのかよく分からない。彼女の上司としては早くこの溝をなんとかしたいのだが、未だ解決策が見当たらないでいた。


夢主視点

file1-3 バーボンという男


 翌日、警察庁宛てに脅迫文が届いた。内容は「ホテルレッドキャッスルにて鈴木財閥の令嬢、鈴木園子を誘拐する」とのこと。指定された日時にはこのホテルで鈴木財閥主催の立食パーティーが開催されるようだ。ただの誘拐事件なら公安が動くことはないのだが、相手が世界的に有名な鈴木財閥とあれば話は別だ。

「困ったな」

「降谷さんどうしました?」

「鈴木園子さんは安室透の知り合いなんだ。だから今回の捜査は降谷零が介入できない」

「面倒ですね」

「これを見てくれ」

降谷さんから手渡された資料はパーティーの参加者名簿だった。指先を見るとそこには"毛利小五郎"と"毛利蘭"と"江戸川コナン"の名前がある。これは非常にまずい。

「というわけだ。今回は毛利先生の助手の安室透としてパーティーに参加する。黒田には風見についてもらうから、くれぐれも単独行動はしないように」

「承知しました」

「あと、この男には気を付けろ」

再び降谷さんの指先を目で追うと"沖矢昴"という名前が記載されていた。彼は殉職したはずのFBI捜査官"赤井秀一"が変装している可能性があるという。彼が何か不審な行動を起こさないようそちらにも気を配るようにと指示される。

 私と風見さんは降谷さんより一足先に会場へと向かった。

「さて、行きますか風見さん」

「……やけに目立っているな」

「確かにすごい視線を感じます」

「もう少しシンプルなドレスでもよかったのでは?」

「すいません、実家から持ってきていたドレスはこれしかなくて」

スパンコールが散りばめられた赤いドレスはとても目立つようで、他の参加者からの視線を一身に集めていた。警察官が誰よりも目立つのは些か問題があるかもしれないが、当日になって急に用意しろと言われたものだから仕方ない。

 私はなるべく自然を装い、園子さんの監視をしつつ食事を楽しんでいた。普段ろくなものを食べていないので、ここぞとばかりに栄養価の高いものを中心に皿に取っていく。

「あれ~、乙芭お姉ちゃん?」

「あら、コナンくん。こんにちは」

「おい坊主、この別嬪なお姉ちゃんは誰なんだよ?」

「最近ポアロによく来てるお姉さんだよ。公安警察の人なんだって」

「毛利小五郎さんですよね?初めまして、警視庁公安部の黒田乙芭と申します。以後お見知りおきを」

「はい、この私が毛利小五郎です。いやーそれにしても、乙芭ちゃんは本当に綺麗だねぇ~!公安なんて辞めておじさんの助手になればいいのに~!はっはっはっはっ」

毛利さんは締まりのない顔をして私の両手を触ってきた。私のなかのクールな眠りの小五郎のイメージとはだいぶかけ離れている。失礼を承知で言うがこれではただの変態親父だ。 

 職務中に口説かれ始め困惑している私だったが、スカートをクイクイと引っ張られているのに気付き、下を見るとコナンくんが何か言いたそうにしていた。

「乙芭お姉ちゃんと風見刑事がいるってことは何か事件でも起きたの?」

「それがね、公安警察のほうで私を誘拐するっていう脅迫文が届いたらしいのよ」

「園子を誘拐?!なんで?」

「うちの財産目当てってとこじゃない?今日は公安警察の方も結構来てるみたいだから大丈夫大丈夫ー!」

「園子さんの安全は我々が保証しますので存分にパーティーを楽しんでくださいね」

蘭さんや園子さんと会話をしながらパーティーを楽しんでいるのも、一般客に紛れれば犯人に公安警察だと知られずに済むからだ。それに彼女の傍にいれば犯人が近づいたところですぐに確保できる。

「コナンくん、こんばんは」

「あれ、沖矢さんも招待されてたの?」

「はい。工藤邸に招待状が届きまして」

「昴さ~ん!ようこそいらっしゃいました!」

「ご招待ありがとうございます」

降谷さんが敵対視する沖矢昴。まさか彼がこちらに接触してくるとは探す手間が省けた。私が彼を凝視しているのに気づいたのか、沖矢さんは私の指先にキスを落とす。

「な、なにを??」

「いや、美しい女性がいたものでつい」

男性経験ほぼ皆無の私には刺激が強すぎる。指先だけだが初対面相手にいきなりキスするなんて信じられない。だが赤井秀一はアメリカ国籍だ。挨拶程度にキスをすることは日常茶飯事なのかもしれない。

 だがここは日本である。生粋の日本人である私にそんな耐性あるわけがない。

「おや、乙芭さん偶然ですね」

「安室さん!」

「公安警察がこんなところで何をやっているんです?」

終いには安室さんまでやってくる始末だ。表情は笑っているが声が笑っていない。沖矢さんの前で隙を見せたことはあとで怒られるかもしれないと早くも覚悟を決めた。彼のことになると冷静さを欠くことがあると聞いているので何を言い出すかハラハラする。

「沖矢さん、彼女は僕の大切な人なので手を出さないでもらえますか」

「えっ??」

安室さんは私の肩を抱いて、強制的に沖矢さんから離した。これじゃまるで私と安室さんが恋人同士としか聞こえない。案の定、周りはそう受け取ったようであった。

「それは失礼。ですが安室さんを虜にする女性とは実に興味深い」

「あの、私と安室さんは別にそういう仲じゃ……」

「なるほど、安室さんの片思いですか。そしたら僕にもまだチャンスはありますね」

何やら話がおかしな方向に傾いた気がする。私を挟んで安室さんと沖矢さんの火花がバチバチ飛んでいるように見えた。二人の問題に無関係の私を巻き込むのはやめてもらいたいのだが、面倒なことに安室透、黒田乙芭、沖矢昴の三角関係が成立してしまった。

「そのドレスとてもお似合いですね。これほど赤が似合う女性はなかなかいませんよ」

「乙芭さん赤が苦手だったのでは?」

「これは父の趣味なんですよ」

「ああなるほど。乙芭さんには純白のドレスとかも似合いそうです」

「まさかウエディングドレスでも用意するおつもりですか?」

「ふふ、お望みであれば」

安室さんは相変わらずにこにこ笑っていたが本気かどうかまでは読み取れなかった。彼の言うことは本気か冗談か簡単に区別がつかないのが厄介である。

 私は仕事を理由に風見さんと一緒にその場を離れた。園子さんのことは少し離れたところで監視をすることにした。彼女の近くに安室さんがいれば問題ないだろう。

 去り際に私の手に一枚の紙切れが手渡される。その紙には犯人の特徴らしき内容が箇条書きで書かれていた。さすがは降谷さんだ、犯人の特定が早い。今回あまり自由が効かない降谷さんの代わりに、私が必ずや犯人を捕まえてみせようと意気込んでいると会場内は急に暗転したのであった。


降谷視点


 犯人のめぼしはついた。あとは身動きができない僕の代わりにかわいい部下に手柄を取らせてやればいいだけだ。それにしてもなんたって今日に限ってあんな赤いドレスを着てくるんだ。僕があの色を毛嫌いしているのは彼女も知っているだろうに。

「それにしても安室さんがフラれるなんて珍しいですね」

「だよねー、こんなイケメンに口説かれてるのに見向きもしないなんて公安警察の人ってみんなあんな感じなのかしら?一緒にいた風見刑事もお堅そうだったし」

傍にいた蘭さんと園子さんが驚いた様子でこちらを見ていた。安室透はポアロ内ではかなりの女性人気があると自負している。黒田がなかなか靡かないのは恐らく降谷零としての僕の印象が強いからだろう。歩み寄ってはいるが、安室透として接しているときでさえ彼女は距離を置いて僕と会話する。

「勤務中ですから仕方ないですよ。あとお恥ずかしいことに乙芭さんにはフラれっぱなしでして。彼女を振り向かせるいい方法はないものですかね~?」

「えっ安室さんって本気で乙芭さんのことが好きなんですか?」

「うーん、悔しいけど美男美女カップルお似合いだわ~」

「職務上の問題なのか距離を置かれている気がして、なかなか心を開いてくれないんですよ」

「思いきってデートに誘ってみたらどうです?安室さんに誘われて断る女子なんていないですよ~!映画とかレストランとか」

園子さんはこの手の話が好きなのかかなり食いついてくる。そういえば、ここ何年もプライベートで女性とデートなんてしていない。組織のバーボンとして女性と過ごすことはたまにあるが、仕事として一緒にいるだけで僕には全く気持ちがないためデートをしているという感覚はない。彼女をデートに誘ったところで、冗談と思われ相手にされない可能性もある。僕は少し考えてみますと当たり障りのない返事をしてその会話を終了させた。

 風見がついていることだし、犯人確保は時間の問題だろうと周りに気を配りながら談笑を続けた。だがその思惑は外れることとなる。会場は突然暗転し周りがざわめき始めた。何か嫌な予感がする。照明はすぐに復旧したが、園子さんの話によるとこのような仕掛けは予定していないという。

 電話が鳴った。相手は風見からだ。僕は毛利先生たちに失礼と声をかけて、会場の外で電話に出た。

「風見、どうした?犯人は?」

「してやられました、黒田さんがいません」

「は?どういうことだ?」

「暗転した直後、黒田さんが俺のそばから消えたんです。電話も繋がりません。恐らく犯人の狙いは鈴木園子ではなく、最初から黒田乙芭だった可能性があります」

 まさか彼女が犯人のターゲットだったとは予想外である。管理官の娘を何に使うつもりなのか。警察に恨みを持っている人間の犯行とも考えられる。携帯のGPSを確認したが、犯人に電源を切られたのか一切反応がない。

「降谷さん、申し訳ありません。俺がついていながらこんなことに」

「説教は後回しだ。会場内の公安全員で手分けして黒田を探し、犯人を早急に確保する」

暗転してから時間はまだ経っていない。出入口も既に封鎖済みだ。犯人はまだこの会場内のどこかにいるのは間違いない。僕はすぐに屋上へと向かった。出入口は封鎖したが、脱出できるとしたらこのホテルの屋上しか方法はない。

「黒田!」

「あ、安室さん!」

彼女は無事のようだった。だが、身動きがとれないようにロープで身体を縛られている。犯人の男は銃を所持しており、黒田の頭に突きつけていた。この距離では安易に近づくこともできない。何か手はないのかと考えを巡らす。

「彼女を離せ。さもなくば貴様の命はない」

「そう易々と離して堪るかよ。この女、あの黒田の娘なんだろう?バーボン」

「おまえ……組織の人間か!」

「ああ。コードネームはないからあんたは俺のことは知らないだろうが、黒田には色々と恨みがあるんでね。おっと動くなよ、そこから一歩でも動いたらあんたの大切な部下の頭に風穴が開くぜ?」

「安室さん……」

「どうやら迎えが来たようだな」

空を見上げるとヘリが屋上に到着した。中にいるのは組織の幹部であるベルモット。何故バーボンと協力関係にある彼女がこんな男に手を貸すんだ。

 ベルモットは不敵な笑みを浮かべ、ヘリから降りてくる。

「何のつもりですか、ベルモット」

「利害の一致、といったところかしら」

「こんなことをしたら貴女もただでは済みませんよ?」

「大丈夫、彼女を殺したりはしないわ。私たちの計画に協力してもらうだけ。じゃあね、バーボン」

「待てっ!!」

大事な部下が目の前で拐われそうになっているというのに何もできないのかと歯を食いしばる。

 そんな最中、僕のすぐ横を弾丸が通過した。弾は犯人の男の腕に見事命中。黒田は隙を見て逃げ出し、こちらのほうへと走ってくる。僕は彼女を抱き寄せて銃を構えた。

「どうやら失敗のようね」

「次はないと思え、ベルモット」

「その女のことがよっぽど大事なのね、バーボン。帰るわよ」

今の僕はかなり頭に血が昇っていた。ここでベルモットを撃ち抜くという選択肢さえあった。

無意識のうちに抱き寄せた彼女の声が聞こえる。その瞬間、我に返った。組織内の重要な協力者をここで殺してしまうのは非常に惜しいことだ。仕方なく二人の撤退を見逃すことにした。

「すいません、私が油断したせいで」

「気にするな。それより怪我はないか?」

「暗転したときに思いっきり後頭部を殴られたので痛みはありますが大丈夫です」

「そうか、無事でよかった。君にもしものことがあったら黒田管理官に顔向けできない」

僕は強く黒田を抱き締めた。彼女のふんわり優しい匂いが鼻を掠め、事件が収束したことに安堵する。

 小刻みに震える黒田の肩。相手は女子どもにも容赦のない黒の組織のメンバーだ。余程怖い思いをしたのだろう。つい最近まで一般人だった彼女が恐怖に震えるのも無理もない。彼女を落ち着かせようと背中を優しくさすった。

 あまりにも切迫した状況だったため、先ほどの弾丸の出先を確認しなかったが、あの命中率には覚えがある。恐らく会場内にいた沖矢昴こと赤井秀一だろう。今日の事件ついて知っていたのはFBIの独自の捜査網によるものに違いない。僕はこの日だけ赤井に感謝した。

 だがこのとき気づけなかった。目立った外傷がなかったので安心していたのだが、彼女は心に深い傷を追っていたことを。


to be continued……


2018/11/17 pixiv掲載分

2024/10/07 加筆修正して再投稿